オオムギ(大麦、学名 Hordeum vulgare)はイネ科の穀物。中央アジア原産で、世界でもっとも古くから栽培されていた作物の一つである。小麦よりも低温や乾燥に強いため、ライ麦と共に小麦の生産が困難な地方において多く栽培される。
オオムギ(pearled, cooked) 100 gあたりの栄養価 エネルギー 糖類 食物繊維 マイクログラム • mg = ミリグラム「オオムギ」は漢名の「大麦(だいばく)」を訓読みしたものである。「大」は、小麦(コムギ)に対する穀粒や草姿の大小ではなく、大=本物・品質の良いもの・用途の範囲の広いもの、小=代用品・品格の劣るものという意味の接辞によるものである。大豆(ダイズ)、小豆(アズキ、ショウズ)、大麻(タイマ)の大・小も同様である。伝来当時の漢字圏では、比較的容易に殻・フスマ層(種皮、胚芽など)を除去し粒のまま飯・粥として食べることができたオオムギを上質と考えたことを反映している。
また、オオムギをはじめ、コムギ、エンバク、ライムギ、ハトムギなど、姿の類似した一連の穀物を、東アジアでは総称してムギと呼ぶ。こうした総称はヨーロッパには存在せず、barley(大麦)、wheat(小麦)のようにそれぞれの固有名で呼ぶのみである。
穂の形状の違いから、主に二条オオムギ(二条大麦、H. vulgare f. distichon、英: two-rowed barley))、四条オオムギ(四条大麦、H. vulgare subsp. vulgare、英: barley)、六条オオムギ(六条大麦、H. vulgare f. hexastichon、英: six-rowed barley)、ハダカムギ(裸オオムギ、裸麦、Hordeum vulgare var. nudum Hook. f.、英: Hulless barley, naked barley)、野生オオムギ(H. vulgare subsp. spontaneum、英: wild barley) に分かれる(但し、四条オオムギ、野生オオムギについては品種ではなく亜種)。この「条」というのは穂が何列(条)あるかということではない。オオムギの穂は基本的にすべて6列である。二条と六条の差は、稔る穂が何列あるかの違いであり、読んで字のごとく2列稔るのが二条オオムギ、6列すべてが稔るのが六条オオムギである[5]。稔るのが2列だけであるぶん、二条オオムギの種子は大きく、大粒オオムギとも呼ばれる。これに対し六条オオムギはすべての列に種子が稔るため種子が小さく、小粒オオムギとも呼ばれる。ただしすべての列に種子が稔るため、全体の収量としては六条オオムギのほうが多い。
二条オオムギは主にビール生産用に栽培され、ヨーロッパで栽培されるオオムギの多くは二条種である。これは、二条種は種子の一粒一粒が大きく、しかも大きさがよくそろっているので、醸造の管理がしやすいからである。それに対し六条オオムギは収量が多く、オオムギを穀物として食べる地域においては六条種を主に栽培する。二条種と六条種の進化については、長い議論の歴史がある。かつては六条種は二条種から分化してできたと考えられてきたが、チベット高原において野生の六条種が発見されたため、一時は二条種と六条種は別々に栽培化されたとの説が有力となった。その後、遺伝子情報の解析によって、現在では二条栽培種の変異によって六条種が成立したと考えられている[6]。二条種はチベットより東には到達せず、このため中国や日本など東アジアの在来のオオムギはすべて六条種である。これら諸国における二条種のオオムギは、近代になってヨーロッパなどから導入されたものである。
二条種と六条種は皮が実と糊状のもので固着しており、はがすのが難しい。この固着はオオムギだけの特質であり、コムギなどのほかのムギでも、コメなどほかの穀物においてもこういったことはない。皮をはがすのが難しいため、これらは皮麦(カワムギ)とも呼ばれる。それに対し、六条種の突然変異で糊状のものが存在しないものが生まれ、揉むだけで皮が簡単にはがれる品種が生まれた。これがハダカムギである。ハダカムギは食用にするのがより簡単であるため、チベットや日本といったオオムギを重要視する国々において多く栽培されるようになった。その後、六条ハダカムギと二条種の交雑により二条ハダカムギも生まれたが、二条ハダカムギは品種が非常に少なく、一般的にハダカムギといえば生産のほとんどを占める六条ハダカムギを指す。
また、上記の品種はすべてうるち性であるが、日本を含む東アジアにはもち性のオオムギも存在する[7]。もち麦は日本ではもち米の代替として西日本中心には栽培され、団子などがこれで作られた[8]。
特に日本で生産されるのは二条オオムギ、六条オオムギ、ハダカムギが多い。二条オオムギは明治時代以後にヨーロッパより導入され、ビールなどの醸造用の需要が多くビールムギとも呼ばれる。これに対し、六条オオムギとハダカムギは古来より日本で栽培されてきた品種である。六条オオムギは押し麦や引き割り麦などにして米に混ぜるなど雑穀としての使用が多く、また麦茶の原料ともなる。ハダカムギも同様に使用することはできるが、味噌の製造に使用されることが多い。栽培は、寒さに強い六条オオムギが東日本で主に栽培され、寒さに弱い二条オオムギやハダカムギは西日本で主に栽培される。日本の農産物分類においては、麦類にハトムギやエンバク、ライムギといったものは含まず、日本での生産量の多いコムギ、二条オオムギ、六条オオムギ、ハダカムギをあわせて4麦という[9]。
大麦は、本来は、後述のように冬季に比較的降水量が多い地域を原産とする作物であり、秋に発芽して冬を越し、春に大きく生長し、初夏に結実して枯れる、いわゆる冬草の一種にあたる。そのため、種を秋に蒔き、苗の状態で冬越しさせ、春に出穂(開花)・結実させて初夏に収穫する(秋蒔き)。しかし、春に積算温度の足りない寒冷地向けの品種として、発芽に低温を必要とせず、種を春にまいて、盛夏に収穫可能な春蒔き品種が開発され、日本では、北海道で主に栽培されている[10]。世界的には、ロシアやカナダといった北方の寒冷な地域では春蒔きが中心となっている。この2国はオオムギの大生産国であるため、世界的なオオムギ生産量としては春蒔き品種のほうが多くなっている[11]。これに対して、本州以南の、特に関東から九州にかけての地方では、この性質を利用して、夏草の性質を持つ稲の裏作として栽培が拡大した。この場合、稲の収穫が終わった秋に播種し、田植え前の初夏に収穫することになる。麦の穂が実る初夏の麦畑は、淡い茶色に染まって秋の稲田に似た光景となるため、麦の結実期のことを、麦秋と呼ぶ。東日本・西日本では、梅雨入り直前の、5月下旬から6月上旬(グレゴリオ暦)にあたる。なお、収穫後に乾燥状態を維持していないと、梅雨時などは土壌になくても穂先から簡単に芽吹き出すので注意が必要である。また初夏に芽吹いたとしても日本の夏の気候下ではうまく育たない。秋蒔きは、世界的にはドイツやアメリカなどを中心に行われる。
現在栽培されている品種は、現在イラク周辺に生えている二条オオムギに似た野生種ホルデウム・スポンタネウム(Hordeum spontaneum) が改良されたものともいわれる[12]。新石器時代である1万年前にはすでに、シリアからユーフラテス川にかけての肥沃な三日月地帯で栽培が開始されていた。当初の調理法は、炒って麦粉にしたものを水に溶かしたり、または粗挽きにした粥だったと考えられており、やがてそこからオオムギパンの製法が開発された。
古代エジプトでも主食のパンを焼くのに使われており、ヒエログリフにも描かれている。このころにはすでにビールの製造も開始されており、パンとビールはエジプトの食生活の中心であった。このビール製造はオオムギパン製造の過程で、オオムギを粉にしやすくするため発芽させたときに偶然製法が発見され製造され始めたと考えられており、実際にこのころのビールは現在よりもかなりどろっとしたものだった。オオムギの粥もそのまま残っており、古代ギリシアでも重要な食料だった。古代ローマの時代には市民の主食はコムギとなっており、オオムギは主に家畜の飼料用だった。なおオオムギを食べると脂肪を増やして出血を防ぐと考えられていたため、剣闘士の主食となっていた。このため剣闘士は侮蔑的に「大麦食い」(ホルデアリウス)と呼ばれていた。ワインが主流であったローマではビールは飲まれておらず、北方にいたゲルマン人たちが盛んに醸造して飲んでいた。その後も長くヨーロッパでは重要な穀物であったが、グルテンがないためにコムギに比べて使用法が限定されるため、次第に主食の座から転落し、醸造や飼料用が中心となっていった[13]。ヨーロッパにおいては、コムギの普及とともに二義的な地位へと落ち、中世末期にはよりパンに適したライムギよりも重要性が低くなった[14]。一方で、ゲルマン民族の大移動によってヨーロッパ北部を押さえたゲルマン人たちは引き続きビールを愛飲しており、ゲルマン系のフランク王国がヨーロッパのかなりの部分を押さえたことでビール製造はヨーロッパ各地に根を下ろした。このビール醸造用が次第にヨーロッパのオオムギ栽培で大きな部分を占めるようになった。
ヨーロッパ以外でも、オオムギは各地に広く伝わり、伝来初期は主食としていた地域も多かったが、ヨーロッパと同様の理由で徐々に主食の座から転落していった。中国でもオオムギは「牟」と呼ばれ、広く栽培されたがコムギやコメを越えるものではなかった。例外はチベット高原であり、ここではほかの穀物が気候的に栽培不可能であるためにオオムギは主穀となった。また、エチオピア高原においてもオオムギは重要食料となったが、こちらではテフの普及とともにやはり地位が下がっていった。この2地域はオオムギの品種が非常に多く、またここで生まれた品種が周辺に拡散していったものも多く、オオムギ栽培化の二次中心とされる。しかし、オオムギはすべての主要穀物の中で最も成長が早く、収穫までにかかる日数も短いうえ、乾燥や寒冷に強く、また湿潤にもある程度適応できるなど適応性が高い。このため、温帯中心にユーラシア大陸のかなり広い地域で二義的に栽培された。
19世紀に入ると、在来品種の選抜を手始めとしてヨーロッパ各地で品種改良がおこなわれ、収量や質のいい新品種が続々と開発されるようになった。20世紀に入るとさらに品種改良は加速し、病害に強いエチオピア高原の在来種や、湿害に強い日本在来種、同じく茎の長さが短く、倒伏の危険性を抑えることのできる日本在来種など世界中の在来種が掛け合わされるようになり、オオムギの反収は大幅に向上した。
日本には弥生時代の3世紀ごろ中国大陸を経て伝来し、奈良時代にはすでに広く栽培されていた。『類聚三代格』には、弘仁11年(820年)の太政官符として「麦は(米の)絶えたるを継ぎ、乏しきを救うこと穀の尤も良きものなり」との記述がある[15]。
鎌倉時代以降二毛作が普及すると、寒冷と乾燥を好むオオムギは米の裏作として適していたため、栽培はさらに拡大した。製粉する必要のあるコムギに比べ、オオムギは粒のままで食べるために手間がかからず、コムギよりも熟すのが早いため米の裏作として適していたうえ、不足しがちな米の増量用としても適していたため、このころはコムギより重視され、栽培面積も広かった。明治時代には、コムギの45 - 47万町歩に対し、オオムギの作付面積は130万町歩と、3倍近くにまで達していた。このころまでの日本でのオオムギの主要な用途は主食用であり、麦飯として米と混炊して特に農村部では重要な主食とされた。しかし農村部では白米の飯が祭礼に際しての特別なご馳走であったこと、農民にとって米は重要な換金作物で自家消費が抑えられ転売先の都市部で白米の飯が普及したことなどから、麦飯は白米の飯に対して農村的な格の低い洗練されない食品とされた。そのため臭くてまずいと考え、蔑んで貧民や囚人の食事とみなす者も少なくなかった(俗に言う「刑務所の臭い飯」のいわれである)。その一方で、白米の飯への憧れによって脚気は近代の日本で国民病と呼ばれるまでに蔓延した。海軍ではこれへの対策としていち早く麦飯を導入し脚気患者を激減させたが、「死地に赴く兵士に白米を食べさせてやりたい」という情から白米にこだわった陸軍では日露戦争で著しい戦病死者を出した。(当時はまだビタミンが発見される前であり、麦飯の根拠は薄く伝染病説が主流だった)また、麦が配給されていた海軍でも一部の兵士がこっそり麦を捨てていたために完全な克服には至らず、脚気禍が何度も再燃している。また、こうしたことからオオムギの価格や社会的評価は低く、1950年の国会答弁において大蔵大臣の池田勇人が「私は所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持つて行きたいというのが、私の念願であります」と発言し、これが「貧乏人は麦を食え」と報道されて世論の強力な反発を受けた[16]ことなどは、この状況をよくあらわしたエピソードである。
その後、米の収量が増えるに連れてより用途の広いコムギ栽培に取って代わられ、オオムギの作付けは減っていき、1940年には作付面積はコムギが84万町歩、オオムギが74万町歩と逆転していた[17]。また、オオムギのなかでも明治初期には六条オオムギの作付面積が広かったものが、大正時代に入るとハダカムギの栽培面積のほうが広くなった[18]。高度経済成長期になると二毛作が経済的に引き合わなくなったためにほとんど行われなくなり、裏作作物の中心的存在であったオオムギ、とくに食用を主とする六条オオムギおよびハダカムギの栽培は激減した。それに対し、明治以降にビール生産用として導入された二条オオムギの生産は大口の需要があったため、六条オオムギやハダカムギの生産が激減した後もしばらくは盛んに生産されていたが、1970年代以降ビール原料のムギも輸入が増え、それにつれて二条オオムギの生産も減少した[19]。
オオムギは日本の主食用主要穀物の一つであったため、政府による統制のもとにおかれてきた。1942年の食糧管理法に端を発する食糧管理制度のもとで、ハダカムギ・オオムギ(主食用の六条オオムギを指す)はコムギやコメと同じく政府の管理下に置かれ、生産者は自家保有量以外を公定価格で供出し、政府は米穀配給通帳に基づき消費者へと配給することとなった。第二次世界大戦後、食糧難が緩和されてくるとともに配給制は廃止されるとともに麦の統制も緩和され、1952年には最低価格・最高価格の範囲内に価格を安定させる形の間接統制となった。1994年、主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律(食糧法)が公布されたが、ハダカムギ・オオムギは引き続き価格統制のもとにおかれた[20]。すべて国内生産のみで賄われる主食用オオムギだけではなく、全量が輸入である飼料用のオオムギについても政府がアメリカやカナダといった大生産国から輸入し、業者へと売り渡す、いわゆる「政府操作飼料」という形をとっている[21]。
その他の用途としては、家畜の飼料、漢方薬などがある。オオムギの利用史において、飼料用は世界のほとんどの地域において常に大きな部分を占めている。ウシやヒツジなどの反芻する家畜はオオムギを好み、特に皮の部分を好むからである[27]。特に大生産国であるヨーロッパやアメリカにおいては、飼料用とビール・ウィスキー醸造用がオオムギの用途のほとんどを占め、そのまま食用とすることは少ない。日本においても飼料用オオムギは重要であり、オオムギ消費の大きな部分を占める。飼料としては、ウシの肥育に使用される場合が多い。オオムギを飼料として販売する場合、日本においては変形加工することが義務付けられている[28]。
また、オオムギ発酵エキスに白髪を黒くさせる作用のある成分が含まれ、育毛剤、シャンプーなどに応用が考えられている。
オオムギはイネ、コムギ、トウモロコシに次いで世界で4番目に多く栽培されている穀物である。生産量はかつて増加傾向にあり、1961年には7200万トンだった生産量は2008年には1億5500万トン[29]と、倍以上に増加している。しかし1970年代からは増加は停滞傾向にある[30]。2004年の世界の総生産量は1億5362万4393トンであった。世界で最もオオムギの生産量が多い国はロシアであり、以下カナダ、ドイツ、ウクライナ、フランスと続く。FAOの 統計によれば、主要生産国の国別生産量は以下の通りであった。
2004年度
国 トン 01 ロシア 1717万9740 02 カナダ 1318万6400 03 ドイツ 1299万3000 04 ウクライナ 1106万8800 05 フランス 1104万0214 06 スペイン 1060万8700 07 トルコ 0900万0000 08 オーストラリア 0645万4000 09 アメリカ合衆国 0608万0020 10 イギリス 0586万0000参考: 日本 19万5400トン(2007年度)
2009年〜2011年
オオムギ生産上位10か国(単位・100万トン)[31] 順位 国 2009 2010 2011 01 ロシア 17.8 8.3 16.9 02 ウクライナ 11.8 8.4 9.1 03 フランス 12.8 10.1 8.8 04 ドイツ 12.2 10.4 8.7 05 オーストラリア 7.9 7.2 7.9 06 カナダ 9.5 7.6 7.7 07 トルコ 7.3 7.2 7.6 08 イギリス 6.6 5.2 5.4 09 アルゼンチン 1.3 2.9 4.0 10 アメリカ合衆国 4.9 3.9 3.3 — 世界総計 151.8 123.7 134.3また、日本国内においては、平成19年度で二条大麦が12万8,200トン、六条大麦が5万2,100トン、裸麦が1万4,300トンとなっている。二条大麦の生産量が最も多いのは佐賀県で、4万1,600トン、全国生産量の32.4%にのぼる。六条大麦の生産量が最も多いのは福井県で、1万7,100トン、全国生産量の32.8%にのぼる。裸麦の生産量が最も多いのは愛媛県で5,880トン、全国生産量の41.1%を占める。[32]自給率は8%前後である[33]。
日本はオオムギの大輸入国ではあるが、主食用のオオムギに関しては100%自給を達成している[34]。一方、飼料用のオオムギに関してはほぼ100%を輸入に頼っている[35]。